
最近、先輩(直属の上司ではない人)から「自分で考えろ」と言われて。。。

なんとなく動いてしまっていた。のかな?

そんなことないと思うんです。
でも目上の人にそう言われると、自分は何も考えてなかったのかなと
思ってしまいますよ。

なーるほど。自分が新人のうちはなおさらね。

そこで、「考える」ということについて考えてみたんですよ。

なかなか面白い発想だね(笑)
以前に私が「考えること」の特徴として感じていたことを書き出してみます
- じっくりと時間をかけること
- 論理を組み立てていくこと
- 頭の中にいろいろと思い浮かべること
うーん。考えるってなんでしょう。
あ、今していることが「考えること」?
そうだ。ChatGPT君に聞いてみよう。

「考えること」とはどういうことだと思いますか?
「考えること」とは、問いをもとに世界を整理し、未来の可能性を選び取る営みです
なかなか深いこと言うじゃないの。。
チャッピー(ChatGPT)によると、考えることの特徴は以下のようになるそうです。
- 情報を組み合わせること
- 問いに応答すること
- 選択と判断の準備
うーん。。深い。
改めて「考えること」とは?
「考えること」は「じっくり時間がかかる」こと?
そうとも言えるし、そうでないとも言えそうです。
例えば・・
- 会議中に意識が反れて、その瞬間ふっとアイデアが浮かぶ
- シャワー中に結婚式のスピーチのテーマを思いつく
- うな重好きの小1の一言からトリックのアイデアが閃く
これは考えていると言えないでしょうか。
これはひらめきで、考えることと違う?
でも私は、閃きは頭の中で、
「あーじゃなくて、こーでもなくて、お!これは繋がる?」
と
傍から見ると一瞬の間に、何時間分もの思考をしているのではないか?
と思っています。
野球選手がゾーンで球がゆっくり飛んでくるように見えるように
頭がゾーンに入ってしまう。
そういう意味では
ひらめきとは「考えること」が凝縮されたもの
じゃないかなと、思います。
「考えること」は「論理を組み立てる」こと?
「論理的に考える」は考えていると言えるのか?
日常では、論理的だね=思考力があるね のように捉えられます。
だけど、論理的に考えると誰が考えても同じ結論に行きつきます。
論理的に考えるというのは、ある手順・道順に沿って進んでいるだけであって
「考えている」とは違うような・・
だけど、数学や論理学の面白いところは、誰もが行き着くその先が直感と反していることだったりするところ。だと私は思っています。
例えば・・
先生から
「80点以上は合格ね~。じゃあテスト開始!」
と言われたら、普通は60点だと不合格だと思いますよね?
「60点の人でも合格の人も不合格の人もいますよ」
なんて言われると、そんなのおかしい!と思う。
でも論理的に考えると、この発言からは60点が合格でも不合格でもおかしくないのです。
80点未満の場合について明言していないからです。
どうでしょう。
論理的に考えることで、直感とは違う結果が得られると思いませんか?
ところで、、
こんな話を良く「屁理屈だ!」という人がいますが、きちんとした理屈です。
屁理屈だ!と叫ぶ人ほど、感情(直感)で話していて理屈が通用しないと感じてしまいますね。
結局、「自分で考える」とは?
「もう少し自分で考えてね」
この言葉を上司や先生、親に言われたことがない人はいないでしょう。
ですが、この言葉、非常にモヤモヤしませんか?

私だって自分なりに考えとるわ!
当たり前ですが、自分の思いや意見というものは伝えないと相手には分かりません。
自分の行動には何等か理由があり、”本当に”何も考えずにとる行動はほとんどないはずです。
※手を抜きたかった、などの考えは一度横に置いておきます。
私の例を挙げさせてください。
以前会社で資料を作成した際に、資料の内容が粗かった時の上司との会話です。
私 :この資料で充足していますか?
上司 :全然足りないね。
私 :それはA(元となる資料)と比較して足りないということですか?
上司 :いや、比較するまでもなく足りないんだけど。。。
逆になぜこの内容で充足していると思ったの?
私 :Aが根拠の資料だと思っているからです。
Aからコレコレこのように情報を持ってくると、この資料になります。
上司 :じゃあAが完成してないってことだね。
私 :なるほど。Aはどのように完成させれば良いのですか?
上司 :まずは資料Xを探してみる。あとは各方面に確認かな。
私 :ありがとうございます。
私はAを根拠に作成と思っていたのですが、それ以前にAを根拠資料とできるように完成させる
必要があったんですね。(←私は途中参画のため、その背景を知らず完成版と思っていた。)
上司 :そうそう。
今回は別資料をそのまま流用できるけど、それは「できればラッキー」くらいに捉えてね。
本来は・・・という手順を踏まなければいけないことは忘れてはいけない。
で、この資料の足りない情報は○○と××くらいだと思うよ。
そこだけ確認して追加しといて!
私 :承知しました。
上司 :いや、比較するまでもなく足りないんだけど。。。
逆になぜこの内容で充足していると思ったの?
私は慣れていますが、このセリフ。
言われるとキツい方もいるのではないでしょうか。
つい、「すみません」と言ってしまいたくなりますよね。分かります。
でも、グッとこらえて自分の考えをしっかりと伝えてみましょう。
上司や先生からは初歩的で理由になっていないような考えでも
あなたの行動の基となっている考えなのです。
前章で述べたように、考えることとは
「時間がかかること」
とも
「論理的に考えること」
とも限らないのです。
大切なのは「伝えること」(あたりまえだけど・・)
もう一度、チャッピー(ChatGPT)による考えることの特徴を見てみましょう。
- 情報を組み合わせること
- 問いに応答すること
- 選択と判断の準備
「これが正解!」と思った訳ではないのですが、
仕事の場面においては概ね当てはまっている
と思いました。
少し補足するなら、全ての分の最初に「私なりの」を付けることでしょうか。
前章の私で言うなら
- 私の考える前提書類を情報として組み合わせ
- 書類を、何を根拠にどのように作成するかの問いに応答し
- 選択と判断の材料とする
ここで、
1の前提資料の認識が違っていたり、
2の「どのように」の点が間違っている
ということはもちろんあります。
ですが、だからといって
「もう少し自分で考えろよ」
という結論にはならないのです。だって考えているから。
私の上司のように、「私の考え」と向き合ってくれる人だと良いのですが、
実際はそうもいかない場面が多いのではないかな。。と思います。
そんな時、
「考えることについて考えたこと」
が、モヤっとしている人の心を少しでも軽くできれば幸いです。